INTERVIEW : リニューアルしたユナイテッドアローズ原宿本店の新ディレクター・小木基史が考える、“次の原宿”
interview & text : Yukihisa takei
ユナイテッドアローズ(以下 : UA)原宿本店が、「UNITEDARROWSONE(ユナイテッドアローズワン)」というコンセプトを掲げて9月7日にリニューアルした。このタイミングで本店のディレクターに就任したのが、UNITED ARROWS & SONS(ユナイテッドアローズ&サンズ)のディレクター、小木“Poggy”基史だ。世界からもファッションアイコンとして注目される小木は、歴史あるUA原宿本店をどう変えようとしているのか。リニューアルが目前に迫った中、小木に話を聞きに行った。
“原宿みたいに本当ファッションだけに特化している街ってなかなか世界にはないんですよ”
── 今回のUA原宿本店のリニューアル、そして小木さんが本店ディレクターに就任される件を中心にいろいろお聞きしたいのですが、まずリニューアルの構想はいつ頃から?
「原宿本店が今年の10月で25周年なんですね。僕はそれを機にメンズとレディース一緒にした方がいいんじゃないかと1年前くらいから社内で言っていまして」
── 発案は小木さんだったのですね。「メンズとレディースを一緒に」というのは、トレンドとしてもユニセックスやジェンダーフリーみたいなことがファッション界でも言われていますが、その辺が小木さんの中でも実感としてあったと。
「そうですね。あとは今回栗野(宏文 : ユナイテッドアローズ クリエイティブディレクション担当 上級顧問)がアドバイザーとして入っていて、栗野が作ってくれた“UNITEDARROWSONE(ユナイテッドアローズワン)”というコンセプトがあるんです。その中にはジェンダーフリーやシーズンレス、それから“ひとつしかないもの”みたいな意味が込められていまして。実際、特にミラノとかは、メンズブランドがウィメンズの時期にメンズ・ウィメンズを一緒にショーやプレゼンテーションをやるところがだんだん増えてきています。でも今回の場合、ジェンダーフリーという言い方より、“カテゴライズフリー”というか、そういう意味合いが強いかもしれないですね」

リニューアルした1Fには、UA & SONSのアイテムを筆頭に、ゴーシャ・ラブチンスキーやパーム・エンジェルス、JWアンダーソンなど、“今”を象徴するブランドが並んだ。
── そういう世の中の確かなファッションの空気感が、今回の起点になったということですね。
「はい。そして、うちの栗野とか鴨志田(康人 : ユナイテッドアローズ クリエイティブディレクター)みたいなユナイテッドアローズの歴史を作ってきた人がいて、僕の世代がその次になるわけですが、もう既に、さらに次の世代の感覚も原宿では形成されているじゃないですか」
── そうですね。90年代回帰もありますけど、例えば先日OPENING CEREMONY(オープニング セレモニー)でパーティがあったのですが、そこに来ていた20代くらいの人たちのファッションがまるで変わっていましたね。確実にトレンドが変わったなっていう実感があって。小木さんのおっしゃっているのって、その辺の雰囲気のことですよね。
「女の子でも金縁のメガネかけて、ある意味ちょっとチンピラっぽい感じっていうんですかね(笑)」
── その感じ。それは小木さん的にはどう受け止めていますか?
「僕は全然受け入れてますね。原宿は昔から“血液循環のいい街”と言われていて、地方から出てきてすぐ地元に帰っちゃう人もいれば、残って原宿に仕事してる人もいますが、常に新しい血が入ってくる街で。あとこうして本当ファッションだけに特化している街ってなかなか世界にはないんですよ。そこがこの街の面白さですよね」
── 純度が高いファッションの街ですよね。
「ここ数年で古着もすごい変わりましたしね。下北沢とか行っても、“王道”みたいな古着が全然なくて、90年代とか80年代のNAUTICA(ノーティカ)とか、TOMMY HILFIGER(トミー・フィルフィガー)みたいな流れが一般的になっているみたいで」
── この感じはどこから来た流れなんですかね?
「2005年にラスベガスにFRUITION(フルイション)」っていうお店が出来たんですが、そこがヒップホップ古着を扱い始めたんですよね。カニエ・ウエストとかがラスベガスに来ると必ずそこに寄るっていうお店で。それまでヒップホップテイストの古着の感覚ってなかったので、僕もそこを見て衝撃を受けました。で、その数年後かな。ニューヨークに、COAT OF ARMS(コート・オブ・アームズ)っていうヒップホップテイストの古着屋さんが出来て、その店をやってた人が今procell(プロセル)というセレブもよく行くようなお店をやっています。僕が思うに、日本にもそういう流れが派生してきたのではないかと」